北海道・旭川市の中心部から車で30分の東川町にある「北の住まい設計社」。北海道産の無垢材を使った手仕事による家具や住宅までを手がける家具メーカーで、現在多くの家具職人が工房を構える東川でも先駆的な存在です。モリウミアスやアネックスのベッドも、同社が手がけたもの。後編では、代表である渡邊恭延社長に、「北の住まい設計社」の原点やものづくり、未来への思いについて伺います。渡邊社長の穏やかな笑顔の裏には、ブレない信念がありました。

「北の住まい設計社」の原点。自然とともにあるものづくり

――渡邊社長は東川町のご出身ではないそうですが、もともとなぜこの場所で家具づくりをスタートされたのですか?

僕の出身地は、旭川の西の方にある旭丘という焼き物の里です。嵐山という小高い山の麓に広がる地域で、もともとアイヌの人たちが集落を築いた村でした。ちょうど石狩川とオサラッペ川が合流するあたりです。丘陵地帯で山深く、岩盤の上に氷土がのっているような地形で、地盤がしっかりしているので戦争当時は弾薬庫がありました。

僕は大学で意匠設計を勉強していたのですが、単にビジネスとして物事を捉えるのではなく、もっと生き方の本質を見つめ直したいという思いがその頃からありました。それであるとき、知り合いの大学の先生の紹介でフィンランドに行くことになったんです。そこで一つの答えがおぼろげながらに見えてくるのですが、それが「自然とともに生きる」という考えでした。この自然界には人間だけではなく、あらゆる生き物が共存しています。森の木々や植物、昆虫、すべてに慈しみをもつ。そういった生き方の中で、ものづくりがしたいと考えるようになったのです。

いったんは設計事務所に務めましたが、独立して、これから自分がどこで暮らせばいいかと考えていたときに、アーティストとして東海大学に来ていたアメリカ人の先生に、廃校になった小学校を使ってもらえないかと紹介を受けました。それが、僕が東川に移り住むことになった経緯です。

――自然が豊かな場所でこども時代を過ごされたことも、何かしら影響を与えていそうですね。

僕がこどもの頃なんて、まだ舗装された道路もない馬橇(ばそり)や馬車の時代です。父が中学校の理科の教師だったこともあって、小さい頃から天塩川で魚釣りを教えてもらったり、山菜の宝庫でもあったので山菜をとりに行ったり、そんなことばかりして育ちました。そういう体験を覚えているので、今自然が破壊されつつあることはとても悲しいですし、だからとにかく地球に負荷をかけない生き方や働き方、ものづくりをしていこうと強く思うようになったのでしょうね。

衣・食・住すべてに関わりながら「本物」を追求する

――先ほど工房や木を管理する倉庫などを見学させていただきました。「北の住まい設計社」のものづくりへの徹底ぶりが伺えましたが、渡邊社長の中にはどんな思いがありますか?

やっぱり、やるからには本物をつくりたいとしか思っていません。「なぜ北海道の無垢材にこだわっているのですか?」とよく聞かれるのですが、そこにあるのは“情熱”と“思い”だけです。思わなければできませんから。僕は正直にものづくりをしていれば、失敗するはずがない、売れないはずがないと思ってやっています。ダメなことも失敗したこともたくさんありましたが、そういう思いでこれまでものづくりをしてきました。

――じゃあ紆余曲折も色々ありながら。

もちろんそうです。これはおかしい、あれはおかしいと思うものを一つひとつ解決しながらつくり上げていったのが現状です。例えば卵や水、顔料などでできた「エッグオイルテンペラ」もその一つですが、僕はスウェーデンであの塗装に出合いました。自然界に存在するものだけでできている、こんなものがあるのかと驚きました。でも驚いて終わるのではなく、これをなんとか取り入れたいと技術を習得して、原料を取り寄せ、日本でも同じようにできる方法を考えました。オイル仕上げやソープ仕上げも同じです。

というのも、僕らの時代は大量生産の時代で、今でこそ色々な選択肢がありますが、当時は塗装といえば安くて仕上がりの早いウレタンが主流でした。でもウレタンは有機溶剤を使っているので、なかには体調を悪くする人も出たんです。それで、自分が新たにやる会社では機溶剤は絶対に使わないと、そのときから決めていました。だから、天然の塗料には随分とこだわりましたね。

もちろん経営は成り立たせないといけませんから、ある程度の数はつくります。でも、大量生産のようにあくなきボリュームを追求するのではなく、クオリティの高いものを自然の素材だけでつくって永く使えるようにすれば、今のように使い捨ての消費ではなく、自然のサイクルに沿った形でのライフスタイルを提案、実現できると思うんです。やはり、木が成長するためにかかった時間だけは「もの」として生きてほしいので、それは我々の家具づくり・家づくりの大きなテーマでもあります。

――住宅も手がけられていますし、敷地内にはベーカリーカフェもありますが、これらはもともとあった構想なのですか?

はい。人間が生きていくということは「衣・食・住」なので、そのすべてに関わっていこうと考えていました。特に「食」と「住」は自分たちを表現する一つの手段として必要だと思っていますし、「衣」も少しずつカフェに隣接する売り場の方で展開しています。住宅を手がけるようになったのは20年ほど前ですが、やっぱり器がないと、完成した家にうちの家具だけをポンと置いていただくだけではどうしても表現したいことに欠けてしまう。そんなことも考えて、家づくりも自分たちで行おうと決めたのです。

手仕事を大事に、目の届くところで職人と一緒につくり上げる

――手仕事を大切にされていますが、技術の継承はどのようにされてきたのでしょうか。

僕が最初に勤めていた会社を辞めて独立するときに、そこにいた腕のいい職人たちが3~4人ついてきてくれました。その頃は親方と一緒に衣食住を共にする時代でしたから、上下関係も厳しく、教育をしっかり受けた中で技術を磨いてきた腕のいい職人がたくさんいました。そういう人たちがここの基礎をつくりました。自分のところで働いてもらうからには、やる気のある優れた職人と一緒に仕事がしたいですが、仕事が早いとかミスをしないことよりも、とにかく情熱のある人が僕は好きです。

自分の時代は大量生産でどんどん機械化に向かっていた時代でしたが、その中でもやっぱりエネルギーを使わず、人の手でつくるものがシンプルで温かみがあり、一番いいと思っていました。だから今もその方向性はかなり吟味していて、できるだけコンピューターで制御するような機械は入れずに、人の手でできることを大切にしています。

――分業ではなく自社で一貫して、しかも一人の職人の方が一つの家具をつくり上げていくという過程も、なかなかできないことだと思いました。

確かに、うちのようにすべての工程を1社で完結させているところは少ないですが、目の届かないところで作業してもらうのは、信用はできても安心ができないから僕はいやなんです。自社ですべてできれば、縫いのことや裁断のこと、塗装のこと、いろんなことを職人と話し合いながら、独自のものをつくり上げていくことができますよね。

先人たちの教えの中にこそ未来に繋がるヒントが

――東川町はどんなところですか?

ここ数年は30代後半から40代前半の子育て世代が多く移住してきていて、まち全体がこどもを育てることを大きなテーマにしているような気がします。近所の小学校も1クラスに1人しか生徒がいない頃もあったのですが、今は10人以上に増えました。こどもがこれだけ減っている時代に東川では増えていますから、そういった意味ではまちの未来がとても楽しみですね。

――渡邊社長にもお孫さんがいらっしゃるそうですね。

孫はどんぐりが大好きなんです。よく一緒にどんぐりを拾っては、「どこから芽が出るのかな~?」なんて観察していたのですが、あるとき落ち葉の上に落ちたどんぐりが芽を出すことがわかったんです。それ以来うちでは落ち葉を履くことをやめました。不思議なことに落ち葉を積み上げていくと、そこにどんぐりの芽がたくさん生えてくるんです。さらに、山にイタヤカエデが一面に生えている場所があって、なぜだろうと思ったらそれもやっぱり落ち葉でした。試しに落ち葉のないところにどんぐりやイタヤカエデの芽をばら撒いてみても、新しい芽はまったく生えてきません。

そんな風に、芽が出る土壌が自然とつくられているんだと考えると、やっぱり自然界ってすごいですよね。だからうちでは、落ち葉は捨てずに土に還すことにしています。落ち葉が次の生命を育てる大切な役割を果たしているとわかってから、僕も落ち葉のようになろうって。バカなことを言っていますが(笑)。

――素敵なお話だと思います。お孫さんたちの未来に何を残してあげたいですか?

最近思うことがあって、やっぱり私たち人間は、これからどう生きるべきかにスポットを当てないと、地球の環境はどんどん悪い方向に進んでしまうような気がしています。便利なことや目先のことではなく、長い時間の中で引き継がれてきた古い教えの中にこそ人が幸せに暮らすヒントがあるのではと考え、僕は今「禅」の本を読んでいます。先人の教えや考えを僕たちはもっと勉強して知るべきだし、それに尽きるんじゃないかと。

例えば、日本人が稲作をして米を主食に育ってきた歴史を知ることは、自然界を理解することにも繋がります。先人が残してきたもの。そのどの部分をこれからこどもたちが勉強していくかは、とても大事なことなのかもしれません。幼いうちはなかなかピンとこないかもしれませんが、そのタネを蒔いて素地をつくってあげることが、こどもたちの豊かな未来のために僕らができる一つの策かもしれないですね。

渡邊恭延(わたなべやすひろ)
「北の住まい設計社」代表取締役。1945年北海道生まれ。1978年に設計事務所から独立し、1985年に東川町の廃校になった小学校をリノベーションした「北の住まい設計社」を設立。職人の手仕事を活かした道産の無垢材による家具づくりをはじめる。家具という「もの」だけではなく暮らしそのものを大切にとの想いから、衣・食・住を提案するショップやベーカリーカフェを敷地内に併設するほか、住宅部門も手がける。
〈北の住まい設計社〉

撮影/渡邉まり子 文/開洋美