インド出身の祖父が開業した輸入卸販売会社、「インドアメリカン貿易商会」の3代目であり、インドの食文化やスパイスの魅力を発信する料理ユニット「東京スパイス番長」のメンバーでもあるシャンカール・ノグチさん。モリウミアスではスペシャリストとしてカレーのワークショップをこれまでに3回行っていただき、8月には4回目となるワークショップが開催されます。料理に取り入れると健康にもよく、ここ数年で人気が高まっているスパイスですが、ノグチさんにとってはこどもの頃からとても身近な存在でした。「スパイスはコミュニケーションツール」と話すノグチさん独自の視点で、ご自身のことやスパイスの楽しさ、食の大切さなど、興味深いお話を聞かせていただきました。

幼い頃から身近にあった欠かせない存在のスパイス

――ノグチさんのお祖父様はインドの方だそうですね。

僕の祖父は北インドのパンジャブ州の出身で、戦前に新聞記者として来日し、NHKの特派員として働く中で日本のことがとても好きになったそうです。その後、日本で最も古いインド料理店「ナイルレストラン」の創業者の方と知り合ったことで、インドスパイスの輸入業をスタートさせ、日印融合の道を拓くことに努めたと聞いています。

――そうだったのですね。ノグチさんが幼い頃からカレーやスパイスは身近なものとして食卓にあったのですか?

ありました。カレーは祖父が教えたものを、日本人の祖母が主につくっていました。食卓には、最初に味噌汁や唐揚げなどの日本食が普通に並んでいるんです。そのあとに最後の仕上げで豆カレーやチャパティが出てくるので、本当にお腹いっぱいになっていました。インドってチャパティを食べたらどんどん盛る文化なので、出されたものはとにかく食べないと怒られるんです(笑)。

こどもの頃は親戚が集まると祖母が本格的なインド料理をつくってくれて、ジャガイモとキャベツのサブジ(炒め煮)なんかはすごく人気がありました。こんがり焼いたジャガイモにキャベツ、ターメリックやコリアンダー、クミンシードなどを加えて炒めたものをさらに煮るのですが、みんな大好きでしたね。祖父の出身地のパンジャブ地方ではギー(バターオイル)とトマトの味付けがメジャーなので、ハンバーグのソースにそうした味付けが活かされていたり、あとはアチャール(インドの漬物)も食卓の定番でした。本格的なインド料理もあれば日本食もある、そんな環境で育ちました。

――まさに今に繋がるルーツですね。お祖父様の会社を3代目として継がれたのは自然な流れだったのですか?

こどもの頃からなんとなく自分が継ぐものだと思っていました。ほかのことをやりたいと考えた時期もありましたが、昔から家族みんなでやってきたことをこの先もずっと繋げたいという思いもありました。それがファミリービジネスの形だと思っていますが、今はなかなかそういった意識が薄れていて、少し寂しい部分ではあります。

――そんな本業の傍らユニットを組み、色々なイベントでカレーの魅力を発信されていますが、カレーづくりは独学で?

はい。本格的につくるようになったのは社会人になってからですが、祖母がカレーをつくるのを隣でずっと見ていたので覚えました。輸入品のスパイスがインドからどんどん届くので、どんな香りが出るのか知るためにもつくる必要があって、それは自分のライフスタイルとして今も変わっていません。

僕は東北を車で旅するのが好きで、20代の頃はスパイスを持って、春や秋の山菜の季節に毎年仲間と旅していたんです。盛岡まで入って海沿いを南下してくるのですが、自分たちで山に入ってきのこや山菜採りをして、その食材を使って温泉の湯治棟でカレーやスパイスを使ったソースをよくつくっていました。東北には良質の食材が揃っているので、スパイスを持って移動して、山や市場でいい食材を見つけたら調理する。その繰り返しでした。当時、ちょうど南下していた時に石巻や雄勝に立ち寄ったこともあり、石巻の知り合いとは今でも繋がっています。東北はお世話になった土地なので、モリウミアスの話を聞いた時、自分のできることで何か協力できればと思ったのです。

ノグチさんプロデュースの「インディアスパイス&マサラカンパニー」のスパイス。ノグチさんがスパイスをブレンド

ルーを使わずこどもたちがスパイスを調合

――ギターならぬスパイスを担いで旅されていたなんて、かっこいいですね! すでに3回モリウミアスでスパイスやカレーのワークショップをされていると聞きました。

そのうちの1回は、僕の11歳になる娘も参加しました。モリウミアスではルーを使ったカレーではなく、毎回こどもたちにスパイスの調合からやってもらいます。ターメリック、レッドチリペッパー、コリアンダーパウダー、クミンシードパウダーという基本の4スパイスを、こどもたちが自分で調合するんです。一応規定の分量をこどもたちには教えるのですが、チリをたくさん入れすぎなければあとは好きにやっていいと思っています。例えばターメリックには肝機能を強くする働きがあり、ブラックペッパーには殺菌作用があったりと、スパイスは料理に取り入れると健康にもいいんですよ。

それにスパイスって0.1g単位で味が変化するので、もしかしたらミラクルが起こって、僕もつくったことがないような美味しいカレーができ上がるかもしれません。そしたらぜひ教えてほしいですね(笑)。料理って必ずあとに繋がると思いますし、やらなくてもふとした時に思い出したりするんです。なんでも経験することは大事だし、せっかくみんなで同じ時間を共有するなら楽しい時間にしないと。

――香りは思い出とリンクするっていいますよね。そういう意味ではスパイスを使った料理ってこどもたちの刺激になって記憶にも残りやすそうです。

そうですね。鼻は体の中でいちばん脳に近いので、香りは味覚よりもダイレクトに記憶に残るといわれています。インドにはだしの文化(=旨味)がなく、その代わり野菜油やギーをたくさん使ってスパイスで香りを付けるので、料理が出てきた時に最初に鼻で感じるんです。

こどもたちには食べることが好きな大人になってほしいので、そのためにも親はたくさんの食材や料理を、経験だと考えてこどもに与えるべきだと思うんです。小さい頃からいろいろな食材を食べつけていないと、大人になってからスムーズに受け入れられなかったり、偏食や好き嫌いの原因にもなりかねません。何より親が一生懸命キッチンに立つ姿を見て育ったら、食べることの楽しさや感謝の気持ちが自然に芽生えるはずです。例えば自分でとっただしの味やスパイスを調合して香りをつけた油の香りと味、うま味調味料とは反対にある味をこどもたちにはできるだけ多く知ってほしいですね。結局のところ食べ物がすべての活力の源ですから、そこをおろそかにしてはいけません。

スパイスを起点に人と繋がり、スパイスの可能性をさらに広げる

――ノグチさんにとってスパイスはどんな存在ですか?

「コミュニケーションツール」でしょうか。だって、僕がこうして国内外のたくさんの人たちと繋がることができたのは間違いなくスパイスのおかげです。インスタグラムにいい写真を挙げることに夢中になっている人がたくさんいるように、今、人々の思考がSNSに支配されてしまっているところがあります。もちろんパソコンやスマホの画面を通して世界中の人と繋がれるのは素晴らしいことですが、そろそろ画面ばかりを見るところから解放されてもいいんじゃないか、とも思うんです。そのためにはそれを超える、もっとおもしろいこと・ものがあればいいんですけどね。

――ノグチさんはバーチャルではなく、スパイスを介してインドやスリランカにご自身で足を運ぶことで世界と繋がってきた方ですもんね。

そう考えると僕がやっていることって、まだ1700年代くらいの大昔のやり方ですね(笑)。インドも今やIT大国になって以前とは変わり、スマートフォンの普及率もすごいです。でも彼らはおしゃべりも好きなので、会っては話し、電話でもよく話しています。インドの市場に行くと二十歳くらいの若者がわんさかいて、みんなでワイワイ野菜を売っているのですが、とてもエネルギッシュな光景で見ていると元気が出ます。

いろいろなことに対して「やってられない」「面倒くさい」という気持ちが先行して、その結果寂しいことが起きてしまっているのが今の日本の現状のような気がします。僕は一緒に東北を旅していた先輩との繋がりで、浅草の三社祭で10年ほど御輿を担いでいたのですが、御輿から人との付き合い方や結束力、日本文化、いろんな要素を学ぶことができて本当におもしろい経験でした。みんなもっと気軽なマインドでいろんな場所へ出かけて、人に会い、いろんなことに挑戦してみたらいいと思うんです。バーチャルではなくリアルを楽しんでより充実させることができれば、明るい未来になると思うんですよね。

――今後スパイスを通してやってみたいことはありますか?

例えば山菜とスパイスと日本酒のように、スパイスを通じたペアリングですね。これまでもやってきましたが、今後おもしろい切り口があればどんどん提案して、スパイスの魅力や可能性をもっと広げていきたいと思っています。組み合わせによっては自分が足を踏み入れていない美味しい世界がまだまだあるのか思うとワクワクして、最近カレーの監修の仕事が増えているのはとても嬉しいことです。

麻布十番の「新加肉骨茶(シンガポールバクテー)」で食べられる「バクテーカレー」も、僕がマサラを調合して監修したメニューのひとつです。シンガポールで飲んだバクテー(豚肉のスペアリブを漢方薬などで煮込んだスープ)の味を覚えていたので、バクテーのだしの旨味とカレーソースをマッチングして、さらに南インドのテンパリングオイルを加えれば美味しいものができるかもしれない、と考えたのです。

ノグチさん監修「新加肉骨茶」の「全部入り特製バクテーカレー」。スープとカレーの相性がよく、優しい味わい。カレーリーフやグンデューチリ、カスリメティ、ブラウンマスタードなどを使ったテンパリングオイルの香りも食欲をそそる。トッピングはなすや紫玉ねぎのアチャール、薬膳味玉など

――ノグチさんの感性でスパイスの可能性がまだまだ広がりそうですね。8月のモリウミアスではどんなことを考えているんですか?

とにかくこどもたちが喜ぶことであれば何でも! スパイスの調合でもでもいいですし、カレーリーフのテンパリングの香りを嗅いでもらうとか、マサラチャイづくりも楽しいかもしれません。あとは雄勝には海の食材も山の食材も豊富なので、それらとスパイスを合わせて一つの味にするのもいい。名付けて「モリウミアスカレー」とかね。何を入れたら美味しくなるだろうという好奇心をもって、こどもたち自身でいろいろ試してつくる楽しさや美味しさを見つけてほしいと思っています。

シャンカール・ノグチ
東京生まれ。インドのスパイス商、調合師。また、オーストラリア・ラム肉の魅力を発信している食のプロ集団「ラムバサダー」やスパイスの魅力を紹介している。「東京スパイス番長」のメンバーとして、イベントやワークショップでインドカレーを作ったり、レシピ開発に携わったり、幅広い活動を展開。著書に『心とカラダにやさしい316種 増補改訂 ハーブ&スパイス事典』(誠文堂新光社)、東京カリ〜番長の共著で「世界一やさしいスパイスカレー教室」(マイナビ出版)、新書に『スパイス生活』(地球丸)などがある。

撮影協力:新加坡肉骨茶
撮影/渡邉まり子 文/開洋美