調理師歴のうち海外経験が長く、フランスの三つ星レストラン「ゴードン・ラムゼイ」で部門料理長を務め、2012年にイタリア・パルマで開催されたパスタ選手権で初代世界チャンピオンの獲得経験をもつ山田剛嗣シェフ。現在は東京を拠点に国内外のレストランをプロデュースするかたわら、料理教室や講演等で幅広く活躍しています。モリウミアスではこれまで2度にわたり、山田シェフを迎えての料理ワークショップが行われました。2人のこどもをもつ父親でもあり、「料理は自分にとって欠かすことのできないもの」と語る山田シェフに、料理への思いや料理を通してこどもたちに伝えたいことなどを、ご自身が監修する東京・三軒茶屋のイタリアンレストラン「PESCHERIA(ぺスケリア)」で語っていただきました。

憧れだった料理人となり、イタリア・フィレンツェへ

――山田さんはどんなこども時代を過ごされたんですか?

出身は東京の足立区なのですが、都内でも埼玉寄りで、とてものんびりしたところで育ちました。3人兄弟の真ん中で姉と妹がいたので、一緒に空き地で遊んだり荒川の土手で凧揚げをしたり、近所に3キロほどの広い親水公園もあったので、そこでザリガニ釣りなんかもよくしていました。

――「料理」を意識されたのはいつ頃、どのようなきっかけだったのでしょう。

父親の影響が圧倒的に大きいと思います。今はありませんが、父は足立区で食べ放題の焼肉店を経営していました。私も小さい頃から厨房に出入りして、キャベツを刻むなど簡単な作業をさせてもらっていたんです。そして週末になると、家族で中華やフレンチ、イタリアン、焼肉、いろんなジャンルの店に食べに行きました。そんな中、こども心に「カッコいいな」と憧れていたのが、白いコックコートに山高のコック帽を被った料理人の方でした。そのときの印象がとても強くて、こどもたちにとって憧れの存在でありたいという思いはいまだにあります。

――こどもの頃から料理人への憧れがあったのですね。

そうですね。でも「将来はイタリアンの道に進みたい」と本格的に考えたのは大学に通いはじめてからです。当時家族で贔屓にしていたイタリアンレストランでイタリア人スタッフの方と親しくなったのですが、料理はもちろん、彼らの人柄や生活スタイル、地元愛の強さなど深く共感できる部分があり、そこに就職したんです。そこで2年半ほど下積みをして、24歳のときにイタリアのフィレンツェに行こうと決めました。日本の江戸前的な料理文化も素晴らしいですが、イタリアの文化や風土、生活に根ざした本物のイタリアンを見てみたいと思ったのです。

そこからイタリアに足掛け4年、2005年にロンドンに行き、2012年に帰国するまで12年間海外で過ごしました。寝る暇もないほど壮絶な時期もありましたが、ミシュランの三つ星レストランで部門シェフも経験できましたし、最後の2年はイギリスのメイフェアにあるイタリアンレストランで料理長も務めました。さまざまな経験ができた、本当に中身の濃い12年だったと思います。

料理体験を楽しい思い出の一つに

――モリウミアスでは料理のワークショップをされたそうですね。

はい。去年と今年の2回にわたり、料理を通してこどもたちと交流を深めました。昨年はじゃがいものニョッキをつくって、今年はみんなで地元・雄勝町の漁師さんの漁船に乗せてもらい、定置網から魚を引き揚げ、さばいてカルパッチョにして味わうということをさせていただきました。

――なかなかできない経験ですね。こどもたちの反応はいかがでしたか?

私にもこどもが3人いて、こどもたちと料理をすることは毎日のようにやっています。だからこどもの反応もある程度予想はついていたつもりだったのですが、モリウミアスで出会ったこどもたちはとにかく積極的で、質問も活発に飛んできますし、あれやりたいこれやりたいと興味津々だったことがとても嬉しかったです。東京から参加しているこどもが大半だったのですが、活きた魚を前に臆せずさばいていたのも印象的でした。

――料理を通じてこどもたちにどんなことを感じとってほしいと思いましたか?

例えば、食べることに対してのイメージが変わった、魚をうまくさばけて嬉しかった、知らなかったことを知れた。なんでもいいので、とにかく料理を楽しい思い出の一つとしてこどもたちの記憶に残したいという思いは強くありました。楽しければ忘れないですし、こどもが家に帰って両親に話すことで家族間の会話も生まれます。それがきっかけで、今度は自宅で「じゃあまたやってみよう」と思ってくれれば。

私は現在料理をつくる立場からコンサルタントの立場にありますが、年々採用が厳しくなっているのを感じます。というのも、少子化ももちろんですが、料理を仕事にする=長時間拘束されて薄給、というイメージがついてしまって、若い人がなりたい職業ではなくなってしまっている気がするのです。「周りがそうだから自分も生活が安定する公務員になりたい」という学生の話なんかをたまに聞くと、それももちろん大事ですが、反面「自分はこうありたい」と思える何かが見つかっていないのかなと、少し悲しくなってしまいます。今は、第二の料理人を輩出すべく“洗脳計画”しているところです(笑)。

モリウミアスはこどもの自主性を自然と引き出す場所

――山田さんの目から見て、モリウミアスはどんな場所だと思いますか?

家では、こどもたちは何もしなくてもテーブルにご飯が並んで、お風呂が沸いてという環境がほとんどだと思うのですが、モリウミアスのような場所で共同生活をすることで見えてくることはたくさんあると思います。私が開かせていただいたのは料理のワークショップでしたが、料理を通してこどもたちが食のありがたさに気付かされた部分はかなり大きかったのではないでしょうか。

すごくいい光景だなと思って見ていたのですが、こどもたちがかまどでご飯を炊いたときに少し焦がしてしまったんです。当然、焦げていないほうが美味しいですよね。そんななか「じゃあ焦げないようにするにはどうすればいいんだろう?」「火加減を調整する?」「明日はうまく炊けるように頑張ろう!」という話になってきて、こどもたちに自主的に考えさせるモリウミアスのプログラムが素晴らしいと感じました。大枠では水や米の分量も、火加減も決まっています。でも最初から「こうあるべき」ではなく、こどもたちのペースで、実践を通してさまざまなことに気付くことができる場は本当に貴重だと思います。

鶏や豚などの動物が食材に変わる過程も、こども心に何かを感じる部分は大きいかもしれませんが、「命をいただく」ことの現実をありありと見せてくれるという意味で、とてもいい環境だと思います。

――大人はこどもに対してときにブレーキもかけがちですが、こどものうちからいろんなことを経験してほしいですね。

こどもが「やってみたい」と言えばやらせてみることが大事です。料理でいえば、包丁を使うことも火を使うことももちろん危険なことですが、「危ない」というのを理解させることも大事な学びです。私が調理未経験の新入社員に料理を教える感覚と、こどもに教える感覚とでは、実はそう変わりません。「こどもだからやってはいけない」「何歳だからだめ」ということは一概にはいえないですし、それはこちらの先入観であって、逆に彼らの可能性に大人がブレーキをかけてしまっている、という面もあるのかもしれません。

料理あっての今だからこそ、料理を通じて恩返しを

――料理を通して山田さんが発信していきたいことは?

私は東日本大震災の翌年の2012年に日本に帰国して、レストランの運営会社に務めたのですが、当時はまだ東北、特に福島県産の野菜の仕入れが制限されている時期でした。ただ、私のアイルランド人の妻が以前福島の学校で英語を教えていた過去もあり、自分にとっても福島は第二の故郷ともいえるほどよく通っている場所です。加えて福島で畜産関係や農業に従事する友人も多く、その食材を使いたくても使えないというジレンマを抱えて悶々としていた時期が長くありました。今はスーパーでも福島県産の野菜を見かけるようになりましたが、本当の意味での復興はまだまだだと感じます。2016年に福島県白河市の南湖という湖の近くで、地元の食材のみを使った2ヵ月間限定のレストランを開いたのですが、同じようなことをもう一度やりたいと考えています。これまでお世話になった分恩返しの意味も込めて、さらに福島野菜のイメージアップに繋がることができれば。

――山田さんにとって料理とは。

料理があるから今があるので、欠かすことができない、ないがしろにはできない存在です。例えば、イタリアに旅立つ前に家族で食べた料理は鍋料理だったなぁなど、私が節目ごとにまず思い出すのがそのときに食べた「料理」なんです。作業の効率化といったことも大切ですが、変えてはいけない部分や後世にしっかり引き継ぐべき経験や技術もあると思うので、料理のそういった部分も自分が伝えていければという思いはありますね。

――山田さんの背中を見て育つお子さんたちが、「お父さんみたいになりたい!」という日もくるかもしれませんね。

大変な部分も見ていますからどうでしょうか(笑)。もちろん強要はしませんが、もし何かのきっかけで「料理をやりたい」と志すことがあればそれは嬉しいことですし、逆に違う道を選ぶのもその子の人生なので、どんな道を選んでも親としてしっかりサポートできるように準備はしたいと思っています。きっと、どんな親御さんも考えることは同じだと思います!

山田剛嗣
東京都出身。フードコンサルタント。調理師歴20年のうち12年をイタリアやイギリスなどの海外を舞台に修行・活躍。フランス料理の最高峰「ゴードン・ラムゼイ」にて部門料理長、その他数々の名店でも料理長を務めるなどの実績をもつ。2012年6月にイタリア・パルマで開催された世界一のパスタシェフを決める大会「バリラ・パスタ・ワールドチャンピオンシップ」にて、イタリア人の名シェフを押しのけ初代世界チャンピオンとなる。帰国後は「タイソンズアンドカンパニー」総料理長を経て、独立。現在はフリーのレストランコンサルタントとして国内外で活動中。

文/開洋美 撮影/渡邉まり子